湯けむり模型日記 人の巻

なんとなく軌道に乗ってきたかも

2012-05-10

ドア、開けないんですか?

模型に限らず、趣味というものはそれなりに熟練がものをいう世界です。

僕のように年間1つ完成品があるかないかの人間はともかくとして、大抵の場合、趣味に費やした時間が長ければ長いほど、その趣味への造詣は深くなるものです。

ですから、なにごとにも例外があるとはいえ、1年目のモデラーと10年目のモデラーとでは、見えてるものもやってることも出来上がるものも、少なくとも熟練の分の差が出ます。

1年目の僕が到達する境地は、10年目の誰かが毎年到達してきた境地でもあります。

1年目の僕が初めてする発見は、10年目の誰かが10年前に知った事実でもあります。

1年目の僕には、10年目の誰かがどんな経験をしてきたかがわかりません。

10年目の僕には、1年目の誰かがどんな経験をしているのかがわかるようになります。

だから、1年目の僕が失敗の道に迷い込もうとしたとき、それを止めるのかそれとも迷ったあとで導くのか、10年目の誰かは迷ったことでしょう。あるいは10年前の自分がそうだったようにあえて口を出さなかったのかも。

 

たとえるなら、新雪に足跡をつけようと外に出たらもう誰かの足跡が遠くまでついている、それが趣味の世界です。誰かの足跡の隙間を踏んで歩くか、それとも誰かの足跡を辿りながら結果として他の人が行かない遠くに足跡を残すか、足跡を残すことではなく皆と雪遊びをすることにシフトするか、「わっ!雪汚なっ!人多っ!俺やることねっ!さむっ!」で家の中に戻るか、いずれにしても、雪積もる遊び場には既に人がいることだけはたしかです。

先に外に出た人は、すでに雪で遊んでる人です。扉の外に出てきたばかりの人に気づく人も、気づかない人もいます。

気づかない人は、雪遊びに夢中です。すでに雪遊びに費やした多くの時間を共有してきた仲間とともにいます。

気づいた人も、そうです。すでに同じ時間を共有してきた仲間がいます。

けれども、扉を出たばかりの人は違います。誰かと一緒に出たとしても、まわりは楽しそうに雪遊びをする人ばかり。扉の前に立ったばかりの自分たちは、雪だるまも雪合戦もどこで楽しんでいいのかさえもわからずに棒立ちしています。

「ふたりではじめよっか」と言ってみたものの、周囲の歓声がうらやましいような邪魔なような、見よう見まねでやってみてもどうにも楽しめません。かといって周囲の仲間に入るには、「よろしくおねがいします」からはじめなくちゃいけない気がして、なんだかみんなの遊びの手を止めさせることに躊躇します。

「かんじわるいね」

だから、趣味をはじめたばかりの人は、そう思いがちです。

僕もそうでした。

「敷居が高いね」「閉鎖的で初心者が入れないよね」

そんなことばが、ふとキーボードを打つ指の先に生まれたりするのです。

 

でも、ひとりならひとりなりに、狭いコミュニティならそれなりに、最初の1年を過ごしてみると、すぐに周囲で遊んでる人が寄ってくることに気がつきます。

2年目には、また扉の外に誰かが出てきます。「やあ、来た来た」と遠巻きに集まる中に、いつの間にか自然に自分が混じっていることに気がつきます。

3年目には自分が大きな遊び場の住人であることに気がついて、4年目には自分の周りに人がいることに気がつきます。5年目くらいから遊び場ごとに雰囲気が違うことに気がついて、6年目からはどの遊び場に腰を据えようなんて色気を出します。7年も経てば新しい遊び場を開拓したり、8年目ともなると周りに声をかけていろんな遊びを作ってみたり、9年目を過ごしたらひとまず落ち着いて自分なりの遊びの愉しみ方を整理してみたり。

そして10年。「案外、出てきた扉から遠くに離れちゃいないもんだなあ」と気づくのです。

 

つまり。

悲観的に言えば、閉鎖的でない趣味はないのです。敷居の低い趣味も、ないのです。

誰でも、趣味を始めたばかり、扉を出たばかりは、自分と周囲との差に臆するものです。楽しんでいる周りの歓声と、どう楽しんでいいのか戸惑いの中で無言でいる自分とに戸惑うのです。

逆に、その差を感じた人がいることをもって「うわ、私の趣味の敷居って、高すぎ…?」と必要以上に考えすぎない方がいいんじゃないかなあ、と、もう半世紀近くも高い高いと言われる敷居との戦いを繰り広げている模型趣味のまっ只中で思ったりしたのでした。

 

なんにしても、趣味を楽しみながら、部屋の中からこっちを見てる人に「そのドア、開けないんですか?」くらいのスタンスが、ちょうどいいんじゃないかなあ。

そこで相手が眉を顰めたからって、僕の楽しさがどうかなるってわけでもないし。 

 

 

2012-05-07

まあ誰も見ねーしな的合理化思考をモデラー脳は乗り越えてきた

こんばんわ。おっさんってなんでかしらないけどどうでもいいことをつぶやきますよね。ひとりごとか?と思って無視してたら不機嫌になるし、なに言ってんだ?と聞き返すとひとりごとだと不機嫌になるし、要するにどうあっても不機嫌になるためにことばを紡ぐそれがおっさんみたいな。しかもひとりごとが口癖化するんですよ。「あ、いかんいかん愛媛いよかん」とかね。いかんと言えば愛媛いよかんみたいに定型文になっちゃう。生産農家に訴えられるぞ。しかもダジャレさらにつまらないそしてくだらない。なんという非生産的条件反射。今日なんて、ドラッグストアのはぶらしコーナーで「犬はラッシーこれははぶらし」ってつぶやいてるおっさんがいて、しかもそれを繰り返すもんだから通りがかりの店員さんに「すいません!うちワンちゃん用のはぶらし置いてないです!」ってばっちり拾われてましたけども。まあ僕なんですけどね。すいません店員さん。うちワンちゃんいないんです。いやこれがまじで僕としては最近なんとなくおっさん化が加速していて、なぜだかオーマイガッが口癖になっちゃって、なにかとオマガオマガつぶやいてるわけですが英語はまともにしゃべれません。別に神に祈る局面でも信じる神がいるわけでもないのについ「オーマイガッ」と言っちゃうんですよ。我が口が。洋画ばっかし見てるからよねこれ。主人公が筋肉で解決する系のストーリーだと「オーマイガ」と「ユーダーイ」と「ホーリーシッ」だけ聞き分けてればなんとかなりますもんね。ならんか。でも「ホーリーシッ」だけは口癖にならんよに気をつけとこ。堀さんの前で「ホーリーシッ!」とかつぶやいてしまったら、「今あんた堀氏ゆーたか」なんてめんどくさなるわなるかぼけなりませんねはい。まあそんなわけでオマガオマガ言ってたら20年来の友人に「あんた神様信じてないのに日ごろからそんなゴッドゴッドゆーてたらおかしいやん」と案の定突っ込まれまして。日ごろから何か考えてモノを言ってるわけじゃないので、「いやあ、つい。メンゴメンゴ」とか死語混合文で答えとけばいいものを、つまんないことをまぜっかえすこじらせたおっさん脳が発動しまして「ノノノ。オーマイガってのはオーマイゴットじゃなくてオーマイガンダムの意味で言ってるのサ!HAHAHA!」なんて、これ面白いって思ったんでしょうねそのときの僕は面白いと思ったんですよたぶん。今読むと全然おもんないけど。まあ当然「なんだよオーマイガンダムって意味通らんやん」と言われちゃうわけですが、そこでまた走っちゃいけないときに走りたがる学校の廊下の小学生みたいなオタクの電流が脊髄に走っちゃうわけなんですね。そいでつい「ていうか俺がガンダムだ」って自分でもわけのわからない説明もつかない理不尽がMAXだとしか言いようのないことを口走ってしまって、まるでゴミの日の朝屋根の瓦にたむろするハシブトカラスを見るような目つきで「はぁ?ぁ?ぁぁあ??」ともうお前とは話にならんのであとは拳だ、いろんなものが落ちてくるぞだが愛だけは落ちてこないユアーショーッ!な一触即発をたったいまやりすごしてきたところの(関係代名詞)すず黄ですこんばんわすげえなこんなどうでもいい前置きだけでひとエントリー終わりそうな分量書いちゃったぜヒューみたいな。

 

さて

 おき

 

東京都の副知事さんがtwitterで「信号が赤でも車の気配がなければ渡ってもいいんだよ」的なことをおっしゃってまして、僕としては「いやまあそりゃそうだよね」と「いやいやそりゃどうなの立場的に」の狭間に落っこっちゃったみたいな気持ちになったんですよね。

ブラッシュアップの過程で出てきた話のようでもあるので、目くじら立てて問題発言って詰る気はまったくないんですが、話の種とか枕とかにはしたくなるよね的なそんな話だなあ、と思ったので一筆。例によって結論は模型絡みのバカ話になるので、そこで「お前は何を言ってるんだ」程度で我慢できそうにない方はここでお別れのごあいさつを。

 

僕もわりとそういうとこはお行儀がいいというか融通の利かない方で、車が来ようと来るまいとぼーっと信号眺めて突っ立ってるタイプなので、それを挙げて「個人の決断がない」みたいに結論されちゃうと「ウキー!違うザンス!ミーはルールを守るという決断を決して断してるんザンス!」と言い返したくなっちゃいます。

でも、考えてみると、これってわりと根の深い問題だな、と思うわけです。

通行量の少ない道路に信号機が立つ

なんで?といえば、以前はてなダイアリーで書いた(けど今はもう読めない。なぜ?それはひみつ。でもないけど再アップするのがはずかしい。なぜ?それはポエムだから。宵越のポエムは消せみたいな)秋葉通りの信号機の話ですよね。今はもう読めないので要約すると、車が横断歩道渡ろうとしてる歩行者を見ても止まらないから、信号機が増えるよってことです。

車と歩行者の関係性において、信号機がなくともお互いに譲り合うコモンセンスができていれば、たしかに信号機というのは交通整理以上の意味を持たないんですよね。

ということは、整理する交通がないような場合には、当然無視すればいいだけの存在なんです。

けれども、人は信号機に交通整理以上のものを見てしまっている現実があるんですよね。だから、車がいないのに、信号が赤だからという理由で立ち止まり続ける。

なぜだろうと考えると、これ、信号機が法の権化になってるんですよ。信号機が、道交法そのものと不可分の存在になっているんです。

しかも、その法が「なぜそうなってるかよくわからないけど、法だから守るべき」という存在に近づいているから、人は赤信号を前にしたらとにかく立ちどまり続けざるをえないわけです。

なんでそこに信号機があるのか、なんのためにそれを守らなきゃいけないのか、道路交通法は誰のためなんのためにあるのか、それがコモンセンスになっていないから、守る方も運用する方も取り締まる方も「だってそれがルールだもん」で結論してしまうんじゃないかな、と僕は思うんですよ。

 

ルールは破るためにある」という社会的な矛盾を端的に表したことばがあります。「ルールとは守られるためにあるのではなく、他に理由があって存在し、その理由に合致するならば、ときとしてルールは破られるべきものなのだ」と、そこでは法理にまで踏み込んだルールへの処世を語っています。

ところが、最近世の中がコンプライアンスという新しい言い回しに酔ってしまって、なんだか「ルールは守るためにある」と言わんばかりの窮屈さがあります。

なぜって、それは最低限のルールすら守らない人が目立つようになったからなんでしょう。労働法の世界でも、各業法の世界でも、道交法の世界でも、それやったらあかんやんと誰でもわかりそうなことで違反して、しかも重大な結果を招くから、世の中が法を作るべしと要請し、つまり法の権化としての信号機を作ってくれと要請するようになるんです。

 

ちょっと想像してみます。

整理すべき交通がなくても、信号機は機械ですから青になり赤になりを繰り返しますよね。あるとき、整理すべき交通がないので、信号機を無視して自分の五感に拠って道路を渡ったとします。

では、そこにおまわりさんがいたら?

「気をつけてくださいねー」で終わった時代もあったのでしょう。ひょっとして、今も依然としてそうなのかもしれません。

でも、今の僕ならば、そこで渡ろうとは思いませんね。だって注意されたくないし、ひょっとして違反切符とか切られたくないですもん。

おまわりさんいるやろか、と車ではなく官憲を探してから道を渡る。そんな不毛な心理でいたたまれないことをするくらいなら、そこが無人の荒野であっても僕は赤信号の前で立ち止まります

 

そこで、ぐるっと最近の情勢を見渡しましょう。

市民たちは悲惨な交通事故に厳罰化を求めています。その声に押されて警察は法を厳密に運用します。自転車でも、違反切符を切るようになりましたよね。今はまだですが、隣人がお互いにお互いの違法行為を糾弾しあう、どうも、僕らはそのとっかかりくらいにいるんじゃないかって思いませんか。十徳ナイフ所持で逮捕された、歩道を自転車で走って切符切られた、などというニュースを読むたびに、この国はコモンセンスを信頼していないのだなあと僕はつくづく思うのですよ。

行政が、立法が、市民が、「ひとこと言えばわかるよ」というルールの「あそび」を設けることに懐疑的だから、「ルールはルールですから」になってしまうんじゃないのかな、と。

 

なぜ、人は交通がないのに赤信号の前で止まるのか。

法とその運用者と隣人たちとこの社会にあるはずのコモンセンスとを、僕らが信用できなくなってるからなんじゃないの?といい具合に手に負えそうもない大風呂敷を広げたところで、本日の本題です。

 

飛行機のコクピットって基本見えないですよね。作りこんでも作りこんでも、3千円注ぎこんでディテールアップしても、シートつけて機体貼り合わしてキャノピーつけちゃえば、微生物にでもならない限りは見えません。

いやまあ誰も見ねーしなあ」と合理的思考で兄貴!戦いは数だよ!とドズル声になって量産するか、「誰も見なくても、俺にすら見えなくても、現物にある以上は再現するのだ」とやせ我慢と自己満足を越えた先にある天竺に解脱するか、どっちの決断があるべき姿なんて議論を乗り越えてきたのが、モデラーなのですよと今日の結論を語りつつってそんな結論かよと怒ってる人にはすいませんと謝りますソソリー。そういや洋画で「奥さんは?」「二年前に死んだよ」「Oh…ソソリー」って流れをやたら目にするんですが、そろそろ口癖になりそうです。ソソリー。ヒゲソソリー言うと思った。やっぱりですか。

 

 

 

 

 

 

2012-05-06

エデュアルドの葛藤

エデュアルドのエッチング、特にプレプリント版って、お値段もそこそこでしまるべきとこがピリっとしまるので実に効果的ですよね。ステマじゃないよ!

だからついつい円高のうちにハナンハナンとハナンツで大量仕入れしちゃって、ちょいと連休が取れたときなんかにふときまぐれで作ったりなんかしちゃったりなんかするわけですよ。ステマじゃないんだからね!

とにもかくにもエデュアルドのエッチングってのは、硬さよしサイズよし組み勝手よしの三拍子ですから、ふと思いつきで作り始めても「あ。やっぱいいやこれ。めんどくさ」とならないだけのポテンシャルを充分備えているのですね。ええい!断じてステマではない!

f:id:yellowbell:20120506205307j:plain

でも、これって別に誰が組んでもこのレベルになるってことなんスよ。そりゃそうだ。プレプリントで裏っ側に糊までついてる親切設計なんスもん。うおお!俺すげくね?と自画自賛に小躍りしそうになっても、別に俺切って貼っただけじゃんみたいな。色を吟味してデカールをちまちま貼り込んだわけでもなし、なんでそこで勝ち誇れるのみたいな。苦労してグフ壊したのに中から出てきたヒゲの青いおっさんに「おめーに負けたんじゃないやい!ガンダムに負けたんだい!」って筋の通らない負け惜しみを言われたアムロみたいな心境スよこれ。

同様にアイリス/クイックブーストのレジンパーツもまた「おめーの腕じゃねーっつの!」と逃げ回るヒゲの青いおっさんがわらわら心象風景に登場する極めて優秀なディテールアップパーツなわけですが、ステマとは違うのだよステマとは!

 

 

2012-04-29

ドラゴンの初期ロットを5つ在庫してると言ったときとイタレリの写真箱を5つ在庫してると言ったときの空気の淀みをご存知ですか

「自衛隊の戦車にはウィンカーがある!平和ボケ!バーカバーカ!だから憲法変えようそうしよう」と言いたくなったときは△◎×社の模型を作りましょう(映像はレオパルド2A5、ルクレール、チャレンジャー2のウィンカーの写真をパン)現用戦車のディテールが構造としてわかるそれが△◎×社のプラモデルなのです-的な15秒CFを作って夕方5時半台に流したらどうだろうバカ売れちゃうの炎上商法的にと思ったけどもそういえばあっちの方向には超強力モデラーな重鎮議員さんがいらっしゃるのでこりゃまたマジで火の手があがりそうで無理な話だなと2秒であきらめたすず黄ですこんばんわあぶねえ!社会派ぶってハンパないじり方すると消される!炎上だけど消される!などとは微塵も思えない日本てほんといい国ですねまっさきに公益とかオーヤケの秩序とかを考えてハバカリしなきゃいけないってこともなくブログが書ける幸せをまもりたいですねってよっ社会派ブロガー!よっ黄色屋!黄色屋て。

 

それはともあれ、ともあるんかよというお叱りは甘受しつつ、いつのまにかGWだったこと以上にタミヤの新製品に衝撃を受けているわけでありますよ。

空にシュトルモビク、陸にエレファント、それが同時にタミヤの新製品に。これって一昔前だったらエイプリルフールネタですよね。まっさかー。あのタミヤにかぎってそんなーみたいな。

その昔某モデラーの飲み会でタミヤではない模型メーカーに関わってる人に今どんな模型がほしいかと問われて「タミヤのエレファント!」と答えてバカを見る目でしげしげと「ドラゴンのエレファントあんだけ買っといてそれっすか」と言われて以来の夢がかないましたよ。うちにはまだイタレリのもあるけどな!写真箱絵の!

しかもついでにどこか知らないメーカーでトータスのプラモデル化までかないましたよ!トータスですよトータス。松本じゃなしに。現実に存在した車両数よりも模型の方が絶対多くなること請け合いのトータスですから。これ退職金で買ったアキュリットアーマーのレジンキット在庫どうすんねんですよ。いや買うんですけどね。やったねパパ次はコンカラーだ!やめて。

そんなわけでタミヤのエレファント予約しました。いまさらかよ!って叫びはあちこちで聞きましたけど、いやいや今だからこそと思いましょうぞ。今がどんなときだから今だからこそって言ってるわけでもないんですけどまあいいじゃん。

見せてもらおうどころじゃなくて、がっちり胸を借りつもりで謙虚に即組みさせていただきとう存じます。カステン履帯含めてドラゴン用に揃えたディテールアップパーツは捨てるほどありますけど、原則素組みで。それまでにグランドパワーとシュピルベルガ本発掘しとかないとな。その前に部屋片づけないとな。無理かな。

 



2012-04-22

既存のことばを新しいことばに言い換えて説明するだけの商売って、頭よさそうに見えていいよね

なんかちっと前に知り合った意識の高い営業の人からB2BだとかB2Cだとかなんのことかわからない略語満載でメールが来たので「B1bisならよく知ってる んですが」と返信したら何のおためごかしも説明もナッシングでただamazonのリンクだけをずらっと貼ってきたんだけどなにこれ新手のアフィリエイターなの?こっちもスティーヴンザロガ本あたりをおすすめしたらいいの?こちとらB1bisだけであと10年戦えるぞ在庫的な意味で。すいません嘘言いました。先日のスケジュールで言ったらひとつ作り始めるまで2年かかるので20年は余裕で戦えます。算数30点より上取ったことないので計算が正しいのかしらないけど。

 

ゆうべ瞬間接着剤の愚痴なら3時間くらい余裕っすよみたいなことを勢いでハイクに書いた手前、マジで瞬着の愚痴ばかりで20エントリーくらい書けるんちゃうかと思って、とりあえずよく使うのをばらばら出してきたんですけどね。

f:id:yellowbell:20120422135512j:plain

 

白瞬(つっても白いアンドロメダ瞬の略ではありませんので星矢といちゃいちゃしたりはしません。ご了承ください)ガッチガチに固まってました。ゆうべ固まらないけどとか書いた罰があたったんだ!オマガ

そして黒瞬(つっても黒いアンドロメダ瞬の略ではありませんので一輝兄さんといちゃいちゃしたりはしません。ご了承ください)はアルミパッケの中からビクとも動きません。これ、中で漏れてガッチガチに固定されてると解釈したのですがいいから中を覗けって感じですよね。ゆうべ黒い瞬着なのに白くなるとか書いた罰があたったんだ!オマガ

どちらもメタルフィギュア作るときのマストアイテムなので、早いとこ買いなおさなきゃいけませんね。あ。マストアイテムとかいう言い換え新語使っちゃった。あーあ。必需品って書けば三文字で済むのに。あーあ。これでマストアイテムってとこにはてなキーワードのリンクとか自動で貼られたら僕もギークにジョブチェンジできますかできませんそうですか算数欠点じゃ無理ですか。

そんなこんなでお世話になってるアイテムに愚痴っちゃいけませんねというグリム童話的教訓を導いたような気のせいがしたあたりでごきげんよう。

 

2012-04-17

現実を生きるという修羅/トランペッター カナダAVGPグリズリー

今週号の週間少年ジャンプを読んでめだかボックスの変態5人組登場シーンに10年に一度の衝撃を受けたところの(関係代名詞)ワタクシすず黄は、さっそくお素敵模型店エムハンズに現物を持ち込んで力説をした。
どの変態の変態っぷりも捨てがたい中で、やはりどっかんぶち抜きの”パンがなければパンツを食べればいいじゃない”にいかにワタクシすず黄ががつんがらんぐわんぐわんとやられたかを20分程度かけて雑駁にしかし熱烈に説いたところ、店長は何の感慨もない風速ゼロメートル状態の表情でもっていかにもこともなげにこう答えたものである。
「すいませんすず黄さん。これと同じ言動の奴がうちの客に少なくとも2人はいるので、まったく衝撃はないですね。むしろ、こういうの、飽きました」
そう言われて、たしかに僕にも思い当る人物の顔が浮かんだ。あれと、これと、それと。店長の言よりひとり増えて3人いるけど、なるほどなるほど。
これは創作の現実への浸潤なのか、さもなくば現実を写す創作の限界なのか、急速に冷静さを取り戻す脳髄の前頭部分で2秒くらい悩んでのち、類は友を呼ぶをはじめとする一群のオマエオモナーの故事が思い出されてなぜか立ち直るのに時間のかかりそうな敗北を感じた春であった。

 

その際に購入したのはカナダ陸軍のAVGPグリズリー。AVGPとは、アダルトビデオグランプリではない。と思う。んじゃないかな。調べるので教えてくれなくてもいいです。

f:id:yellowbell:20120417174054j:plain

信地旋会会長は「これかっちょ悪い」などとツンデレを発動したらしいけど、でっかくてぶっといタイヤかっこいいよね。いやむしろかわいいよね。

カナダ陸軍とくると資料も持ってないし作りどころが難しいけど、ピラーニャやストライカーやBTRやキューロクなどと並べると面白いかも。1両作りはじめるのに2年くらいかかるので、生きてるうちには無理ですけどー。

 

2012-04-02

モデラー2.0

タイトルは無理しすぎだと思ったけど無理してないすず黄のやるせなさは友人をしてオーラが消えすぎてて後は死ぬだけじゃないかと思ったと言わしめるくらいなのでまあ背伸びして踵を攣らすくらいがちょうどいいと思った。

 

さて、マスターモデラーズ亡き後、不本意ながらモデルグラフィックスを購読しているところなのだけれど、3次元プロッタいわゆるモデラのテクニカルな連載がかなりアンテナにしびびびっと来てる。わかりやすく言えば、おもしろくためになる。最初からわかりやすく言えみたいな。それじゃ1行で終わるじゃんみたいな。

僕のイメージにある3次元プロッタって、CADソフトが製作者の頭にある完成像のインプットに付いていってない時代のまま止まっていて、いわゆるナマモノは到底無理だと思っていた。

ところが、その連載を読むと、案外というか、かなりできるようになったなガンダム状態の赤い人みたいな負け惜しみの脂汗が塩辛い展開になっていて、まったくもって恐れ入ってるところだ。わかりやすく言えば、やられたぜちくしょう!である。最初からわかりやすく言えみたいな。それじゃショウザマにザマをショウしろと言われて膝を抱えた黒騎士さんみたいじゃんみたいな。

ともあれ今ある現実を受け入れれば、モデリングワックスにこだわらない素材から彫塑が可能なアウトプットだと、CADソフトのインターフェース次第で、造形のもっとも最初にありかつ最大最強最難関の壁であるシンメトリーやデッサンについては3次元プロッタで易々と乗り越えることが可能なわけで、今後アマチュア造形の作家性は最後のスパイス的な竜眼入れの作業に譲ることが予想されるんじゃないかなと思っている。ここ、危惧してるって書きたいとこだけど、別に危惧することでもないという想いと、いいや嘆かわしいという想いがなんとも説明しがたいテクスチャがうずまくウルトラセブンのタイトルバックみたいなフィールドで婚前一体もとい混然一体となってるので、なんか小洒落た結論に行き着けない感じだ。

その先にあるのは、ていうか、おそらく大日本なんちゃらあたりが今後1年程度を目途に上梓してくるんじゃないかなと鼻をひくつかせてるところの(関係代名詞)モデラ&CADハウツー本(造形用3Dデータ付き)後にあるのは、モデラー界隈のマーケティングの中でCADデータのダウンロード通販がかなりの比重を持ってくる未来なんじゃないかなと僕の理想郷とは違うウィンガチャウィンガチャうるさい音の予感を空耳に聞きながら、今晩も親指を彫刻刀で切腹する吉宗であった。